編集後記
この赤い郵便箱をホームページに載せ始めたのは、2001年だったと思います。毎週1ページづつ更新できたら、などと思っていたのですが、ずっとご無沙汰になってしまいました。
昨年の春頃になって、今まで病気とは無縁だった親父が急に元気がなくなり、9月9日眠るように息を引き取りました。享年82歳でした。
入院することもなく、自宅でそんなに苦しむ様子もなく(本人は苦しかったのかもしれませんが、そんな様子は見せなかった)、いつもマイペースの父らしい最期でした。
数ヶ月前まで朝早くから自転車でゲートボールに行き、本当に寝込んだのはわずか数日でした。
他人に命令されることが嫌いで、他人のことに干渉するのも嫌いで、最後までわが道を行く、を通した人でした。私も命令されたり、何か言いつけられたことは、殆んど記憶にありません。考えてみると、怒られたことすらない気がします。長男の兄や、跡を継いだ弟はそれなりに父とぶつかったこともあると思いますが、私は言い争いになった記憶もありません。
それでは、放任主義の無責任な親父だったのか、と言うと、そんなことはありません。父として、社会人として当然の責任は果たしてきました。
私は、どちらかと言えば母親似で、兄弟の中では一番父に似てないかもしれませんが、父を誇りに思い、父の子でよかったと思っています。
考えてみれば、私はもう、父がこの小説を書いた年齢をとっくに過ぎています。父がこの頃最も輝いていたと思うと、私は何をやっていたんだろうと思います。日曜や、盆正月もなく働いてきたけれど、それは父も同じ、それでもわずかな時間を惜しんで、赤い郵便箱を書き上げました。子供がみんな学生で経済的にも苦しい時期だったのに。
何とか、父の一周忌までに完成させようと、ここ半年ほど真剣に入力して何とか文章だけはできました。心残りなのは、挿絵を父に3枚しか描いてもらわなかったことです。もっと早く入力していれば、いくらでも描いてくれたと思うのですが・・・
とりあえず入力はしたものの、漢字の使い方や、ページの送り方等、ちぐはぐな面も多々あります。誤字脱字もあるかと思います。少しづつでも、直していきたいと思っていますが、お気づきの点があればお知らせ頂ければ幸いです。
次男・吉見和人